解離性健忘観察日記

解離性健忘を患う妻の発作の記録と記憶と性格とのつながりについての考察

どのような生き方で人はどうなるのか

息子のASDの疑いが強まっている。

おそらく私自身もASDなのであろう、そして妻もASDなのだろうと思う。

ASDは遺伝だろう。

妻は小学校まで言葉を喋れなかったと聞いている。

息子はそこまでひどくはないが、私の小さい頃ほど言葉を喋らない印象がある。

ASDは先天的な特性だが、症状の度合は環境による影響が強いと考える。

妻の姉は、祖母の家で家族と離れて育ったと聞く。

とても社交的な女性だと記憶している。

妻は家族と共に生活をしていたと聞く。

幼少期より若年性健忘となっており、コミュニケーションが不得意だ。

同じ血縁の姉妹でも環境によってここまで差が出ている。

昨今発達障害の増加は検知能力の向上に起因するものだと言う楽観的な見解が多いが、

スクリーンタイムの増加が検知能力の向上以上の要因ではないかと考えている。

 

タイトルのどのような生き方で人がどうなるのかは私が知りたいデータである。

入手の目的は

短期的には、子育てへの活用

中期的には、データ集積方法の検討

長期的には、私自身がそのデータを尺度や判定を一様とした状態でまとめたいと考えている。

最終目標は、人間に変わる方針提案システムの構築が希望だ。

 

我々は多くを知っているが、人体や特に感情については未知の部分が多い。

なぜなら我々は嘘をつき、感情は尺度が曖昧だからだ。

 

多くの人間が挑戦し頓挫してきたないように違いない。そんな中で部分的な内容を切り取ってきたのが、心理学などではないかと考えている。

 

私は化学屋で小さい頃から人間の感情は尺度が不明瞭でわかりにくく、正解がないためクソだとずっと考えていた。

 

しかしながら、人の行動にはある程度の傾向があり、意思の誘導もある程度可能で、さらには感情の根幹には闘争があるという思想に思い至った。

 

闘争があればこそ進歩が生まれ、闘争があればこそ落ち込み、闘争があればこそ戦争が生まれる。

人類は成長の為に闘争を繰り返し、進化してきた。しかしそれは滅亡までの時間を前借りしながら進んできた道にすぎない。

 

持続可能な社会の構築は、人間には成し得ない。それは闘争とは真逆の内容だからだ。

ならばこそそれを担うシステムの構築がこの世の為になると考えるに至った。

 

PSYCHO-PASSに出てくるシビュラシステムはかなり理想に近い。しかし有機コンピュータはあまりにも非現実的だ。

エヴァンゲリオンに登場するマギシステムのように複数の異なるそれぞれが独立した人工知能が、解を出し合い。それを案とし全ての内容を完全な多数決で決定する。

少数を少しずつ削いでいき滅亡する未来は変わらないかもしれないが、現状の人が管理する状態よりは緩やかに滅亡に進むと考える。

 

システム名 シビュラ

PC名 マギ

コアは3コア以上を必須とし、

コア名は『えっちじゃん』『面白いですぞ』『マジ無理リスカしょ』をコンセプトとした人工知能

とする。

 

多分やれる。

私がやるとは一言も言ってないがたぶんやれる。

頑張れ世界。

ハローワールド

できる方が優先だが、本当は私が作って大儲けしたい。

 

解離

解離が題材となっているmarvel作品『ムーンナイト』というドラマを見た。

妻は1話目から辛そうな様子で、1日1話づつ見ていた。

私が辛かったのは4話と5話だった。

妻も泣いていた。

解離がどのように形成されるか、その事が良く表現されている。

私はこのドラマが解離をベースに書かれた脚本だと2話まで気が付かなかった。

解離は自身では認識できないものだと妻の症状から認識している。

該当作品では、片方の人格はもう片方の人格について認識しているが、その認識もまた周囲の第三者作品の場合はコンスによるものだろうと考えている。

3話4話の描写から、もう1人解離人格があると考えるが、今のところ確認できていない。

解離の人間が自身の症状に気がつかないという部分を強調する為にわざわざ残しているのかなと推察する。

今のところ見ているのが辛い作品だが、主人公が救われる、またその事で妻が救われることを願い最後まで視聴しようとおもう。

夫婦としての変化

最近は精神的に非常に安定している。

妻単独の変化はない。

夫婦としては愛し合う様な関係から、同居をしている異性と言う様な感じになっている。

息子は発達の遅れが出ているが、今のところ大きな問題は出ていない。

 

ふと気がついた事がある。

病気についてだ。

病気は気からと言うが、気とは何だろうか。

先天性、後天性、遺伝子起因、細菌性、ウイルス性など様々な病気があるとされているが、元凶は何なのだろうか。

セミの例を挙げよう。アメリカ17年セミ寄生虫により生殖能力を失ったまま繁殖を行い寄生虫をばらまくキャリアとなると言う様なニュースがあった。寄生生物が寄生先の行動を変えら事例である。

マウスを使った実験では、腸内細菌と個体の性格についての調査結果で、相関性があると言う記事を目にしたこともある。

昨今話題のワクチンは弱毒化させたウィルスを摂取することによって、抗体を作るつまり体を変質させるものである。

行動に影響し、性格に影響し、体を変質させる力をもつ寄生生物や菌類は果たして精神に影響しないのだろうか、また病気とはこう言った生物が起因する事象により発生するものではないだろうか。

全ての病気の原因が仮に寄生生物や菌、ウィルスによる物だと仮定してみる。

それの全てに対抗しうる手段があるとすれば、それはどの様な結果をもたらすだろう。

不老ではないだろうか。

数多の権力者が求めた不老不死の半分だ。

話は飛躍するが、現代の先進国の衰退は少子高齢化により避けられないものとなっているが、不老長寿を利用した労働力の高年齢化は少子化対策の新たなメソッドではないだろうか。

細菌研究ウィルス研究が多くの致命的な病気を未然に防ぐ布石となった場合、国はどの様な利益を被るか。

これまで後進とされてきた共産主義国、特に人の死に対する忌避感が少ない国があるとすれば、寄生生物などと死の関連性を膨大なデータから読み取ることが出来るのではないだろうか。

そうすれば倫理を重んじる国々はSDGsなどを枷に敗北していくのではないだろうか。

G7は近い未来Gいくつまで数を減らすのだろう。

畑で取れるコミーは何世代先の交配で不老を手に入れるのか楽しみでもあるし、恐怖でもある。

私は危機に際し、なにをすべきだろうか。

そして精神病もウィルスや菌同様引き継がれるものであれば息子は大丈夫なのだろうか。

そして妻の今の安定は新たな寄生生物による変質なのだろうか。

わからないことや架空の事象をさも事実であるかの様に思案を巡らせるのはとても楽しかった。

眠い。おやすみ。

 

 

 

 

 

変化記録1日目完

4度目の睡眠後記憶が戻った。

予想通り記憶を失っていた間の人格は記憶としても消失。

 

主人格は夢の中で刺され続けていたとのこと。

 

ストレス要因については話し合いの結果解決。

 

息子が生まれてから2度目の記憶喪失だったが休日の為被害が小さく済んだ印象。

 

今回も何事もなく記憶を取り戻すことができたが、回数を重ねるごとに記憶を失う期間が長くなっている為注意が必要と考える。

 

以上変化記録。

 

 

変化記録 1日目

妻の症状について記載します。

2020年9月21日深夜に発作症状があり記憶を失いました。

 

我々はどこから来たのか

我々は何者か

我々はどこへいくのか

 

と言う言葉が非常によく合う状態でした。

 

人類の脳の機能として解離性健忘というのは淘汰されず存在し続けてきたものではないかと感じるタイトルです。

 

記憶を失う場所が外出先一人でいるときであれば

形成された人格が無気力なものであれば

 

そのような事を考えると背筋が寒くなりますが、今回は私のいる場所で記憶の喪失を取り繕う人格が妻となりました。

 

元々の人格と根幹は変わりませんが、口調と表情の変化で今回の記憶喪失に気がつくことができました。

 

名前を呼ばれたところが今回の記憶の始まりで、私と息子の名前は保険証を確認したとの事で気がつくまで30分ほど要しました。

 

父母や家族構成、私と息子、自分の苗字(確認していませんが恐らく名前もわからない状態だったと考えます)を忘れた状態で誕生した人格は、その場所を取り繕おうとしてくれました。

 

記憶が周囲が性格を作り出す。生まれながらに人は善であると言う、性善説を信じざるおえない状態でした。

 

もしくは彼女が育った環境が彼女自身を善たらしめているのかもしれません。

 

前期のように、口調、表情が外観上わかる主だった変化でしたがその後会話を重ねるにつれ、

食の好み、家事の方法などについても些細ではありますが変化がありました。

 

それぞれ嫌いになった理由や家事の方法をそうしている記憶について以前伝えられていたのでそうした記憶を失った為に変化したものと考えています。

 

今後も変化があれば記録を行います。

解離性健忘と変化について

私は29歳の夫です。

27歳の妻と1歳の息子がいます。

 

妻は解離性健忘と言う病気を患っています。

端的に言うと記憶を失う病気です。

思い出す場合もあればそうでない場合もあります。

 

より症状を具体的に言えば、強いストレスを感じた際に身を守る為にストレスの要因となる記憶を失います。

 

学術的な記述ではないですが、

記憶を失う前の人格をA、失う後の人格をBとしたときに、

A≒Bの場合を解離性健忘

A≠Bの場合を解離性同一性障害、解離性奔走

と言うように思います。

 

いずれの場合も記憶の喪失の前後で人格は異なるという事を私的見解として持っています。

 

しかしながら、人格を形成する為の構成要素としては全く同じ経験をしている別人格ですので本来であれば似通った性格になると言うのも事実です。

 

実際に以前経験した場合には、年齢の異なる本人(過去数年分の記憶を喪失時)であったため、記憶の再取得についてはさほど時間がかかりませんでした。

 

今回私が経験している症状は、上記とは異なり自身のバックグラウンドについて全く記憶のない状態となります。

 

生活様式、好み、口調、表情等大きく変化をしており、同じ肉体を別の精神が動かしているというような感じとなります。

 

まだ精神科の受診が出来ていないため以前に通知された解離性健忘としていますが、あるいは解離性同一性障害の症状かもしれません。

 

私自身記憶力に自信がないものですから、その変化についてブログに記憶をしようと考えています。

既知の事実であったり、体験であったり、記憶を取り戻す為のアドバイス等をいただけるとありがたいです。

 

以上長くなりましたがブログの主旨となります。